前回の講義では、8支則の前半の5つに関する解説が終わり、いよいよ後半の3つについて解説されました。
前半の5つは「外的」、後半の3つは「内的」であると区別され、外側からの感覚に対して心を波立たせないように準備してから、集中から瞑想、三昧へと進んでいきます。
内的な感覚は、言語や文章で表現するのが難しく、これら3つ段階を明確に認知するのも容易なことではありません。
そこで、講義の中でも紹介された書籍では、どんなふうに解説されているか参考までに紹介します。
『ヨガと心の科学』(スワミ・スワミ シバナンダ 著)
瞑想中に起こる三つの過程を憶えておくこと。この三つとは、集中する、満たす、一体化するであ
る。修行中、これを心の中で唱える。これは本当に役立つ。アートマンに心を集中する。心をアートマンで満たす。そうすれば心はアートマンと一つになる。「思うように人は成る」のである。自分がブラフマンだと思えば、ブラフマンになる。
『インテグラル・ヨーガ』(スワミ・サッチダーナンダ 著)
チッタすなわち心の総体が、一つのものや一つの場所に縛られているとき、言うなればあなたが心を“しつけて”いる状態が“ダーラナー”であり、それが瞑想の始点である。
集中は瞑想の始点であり、瞑想は集中の極点である。それらは切り離すことができない。
真の瞑想では、身体さえも忘れ去られ、あなたは時間と空間を超える。
瞑想は、“サマーディ”で頂点を極める。サマーディは、修習するのではない。
誰もサマーディを意識的にすることはできない。われわれの努力は瞑想までである。
『八段階のヨーガ』(スワミ・チダーナンダ 著)
集中は、粘り強い不屈の努力の問題である。助けになるのは日々の実践だけである。
最終的に集中においては、“欲望と執着”によって邪魔されることが明らかになっており、霊性の修行の指針となる“不断の努力精進・反復実践”と“離欲・無執着”の二つを心に留め置かなければならない。
人の心は習慣の力の影響を受けており、心に瞑想的ムードのサイクルを打ち立てるために、時間、場所を固定することにより、集中と瞑想の質が向上する。
瞑想の初期の段階で最も大切なことは、自己コントロールや徳を養うことである。
すなわち自分が瞑想に適するようになる前に、満たさなければならない条件があるということを理解すべきである。
瞑想のための前提条件として、徳を養い、自分を律し、五感のコントロール、無欲・無執着を確立することなどによって瞑想のための適切な基礎を作ることが非常に大切である。
というのは、外界の対象の魅力に巻けることは、心が外側に引っ張られ内側に向かうことを妨げる要因の一つだからである。故に、ヤマ、ニヤマ、プラティヤハーラといったことが尊重されてきた。
サマーディは、心が一か所に集められ完全に静まった時の内部への深い没入状態であるが、心の動きの完全なる消滅は起こっていないので、悟りに至るものではなく、単に心が機能停止されているに過ぎない。
この他、『解説 ヨーガ・スードラ』(佐保田鶴治 著)はまだ読んでいる途中ですが、原文にさらに忠実であり、読者自身の解釈によるところが大きいように思えます。
以上のように内的である3つの段階については、極めて感覚的かつ独自性の考察が見受けられますが、サッチダーナンダ先生の、「ヨーガ・スードラ第1章14節 “修習は、長い間、休みなく、大いなる真剣を持って励まれるならば、堅固な基礎を持つものとなる”、まずは瞑想できるように心を訓練することが言うところのダーラナーである。」、というご指摘を胸に刻み、日々繰り返し修練に励むことが肝要と思いますが、皆さんはどのように感じていますか?
光雄さん、熱心な投稿ありがとうございます。 色々な先生の説明の仕方を並べてみること、大事ですねー。サッチダナンダ先生のいう、サマディは修習するものではない。確かに!! どうしても御利益主義な私たちは成し遂げること、達成することに躍起になりがちですが、睡眠を起こすことが不可能で条件がととのうと睡眠のほうからやってくる、のと同じように瞑想やサマディもそれを「やる」のではなく「起こるのを待つ」ということですよね。 チダナンダ先生の欲望と執着が邪魔する、は瞑想を成功させたい、サマディを体験したい。さえも欲望だから、それさえも手放さなければサマディは体験できないというパラドックスを説明します。 毎日練習をしよう!絶え間ない修行をしよう、のモチベーションは瞑想体験したい、サマディ体験したい!という熱意がバックアップしてくれるのに皮肉にもその欲望があるうちは体験できないわけです。 練習に熱心に打ち込みつつ練習の結果は常に手放す。ある意味だから完全にカルマヨガなんですよね。だから徳を養うと書かれているのは動機が、自分の為や欲に向かないように常に徳、の方向にベクトルを向けておかないと練習は傲慢な自己満足な結果に終わる。ということだとおもいます。 光雄さんまた楽しみにしています!
ぶんちゃん先生
僕は、此の所、最近始めた早朝マントラについて、このまま続けて行っていいものかと悩んでいましたので、昨夜はつい熱くなってしまい、お恥ずかしい限りです。
他にもいろいろ悩ましいことも感じているので、またマリオ先生やぶんちゃん先生をはじめ先輩諸氏のご意見を伺おうと思っています。
みつおさん いつもありがとうございます。 実は昨日の質問した みつおさんの姿に感動しました。 なぜかはうまく説明できませんが これからもフォーラムへのコメント楽しみにしています。
Yoga2もあと僅かですね。 毎朝の呼吸法、みんなでやってるからなんとか続けられていますが、講座が終わった後も自分で続けられるか不安でいっぱいですw でもサダナ効果は絶大ですね。 呼吸法は体内のスペースが広がってアサナが取りやすくなるだけでなく、心にもスペースできて余裕が持てるようになりました。 サンカルパは生活の中でふと思い出されて意識できるようになるし、継続することで確かな物になって、その時その時本当に必要な物がなんなのか少しずつ分かってきている気がします。 ダーラナ、ディヤーナ、サマディは奥深いですね。 私は日常生活で、例えば玉ねぎ🧅をみじん切りにする時に皮についた土から畑をイメージしてみたり、皮を剥きながら層を感じてみたり、切る感触、匂いを味わうなどできるだけ自分がそこにいられるようにしています。 最近はみかんの収穫にすごく集中して、自分がみかんでみかんが自分みたいな感じを体験しました🍊🎵